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世界の頂点をめざし、パラスポーツの裾野を広げたい!日立ソリューションズ「チームAUROEA(アウローラ)」の選手・監督が、日常の素顔から大会日記までをお届けします。

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日立ソリューションズ「チームAUROEA(アウローラ)」の選手・監督が、
日常の素顔から大会日記までをお届けします。

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パラリンピックと将来の展望|荒井監督のパラリンピック競技ノルディックスキー講座

めざせ!2010バンクーバーパラリンピック荒井監督のパラリンピック競技ノルディックスキー講座

質問1:パラリンピックの始まりは?

答え「手術よりスポーツを」の方針を掲げ、スポーツを治療に取り入れる方法を用いたルードウィッヒ・グットマンという医師がイギリスの病院にいたんです。

1944年、イギリスでは、ドイツとの戦争が激化することで、兵士が負傷、脊髄損傷になる兵士が急増していく状況でした。そこで、イギリスは「兵士の治療と社会復帰」を目的に、ロンドン郊外にあったストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科(1953年に国立脊髄損傷センターと改名)を開設しました。その初代科長に、冒頭の医師、ルードウィッヒ・グットマンが任命されたのです。

このグッドマン先生が、1948年7月28日、ロンドンオリンピックの開会式の日、ストーク・マンデビル病院内で16名の車いす患者によるアーチェリー大会を開催したのです。これが、パラリンピックの原点といわれています。

その後、1960年にローマで開催された国際ストーク・マンデビル大会がパラリンピックの第1回大会とされ、現在、パラリンピックは国際パラリンピック委員会(IPC)が主催する障害者による世界最高峰の競技大会となっています。

4年に1度、オリンピック終了後にオリンピック開催都市で行われるため、「もう一つの(Parallel)+オリンピック(Olympic)」と呼ばれ、夏季競技大会と冬季競技大会が開催されています。

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質問2:民間企業によるはじめての障害者スポーツへのスポンサーとして、日立ソリューションズがスキー部を創設したことについて聞かせてください。

答え 現在、障害者スポーツは認知もされ大きくなってきたけれど、今後どのように進んでいくのかまだ先が見えてこない状況の中で、障害者スポーツに企業が取り組むことはとても大変なことで、日立ソリューションズが決断されたというのは大変意義のあることだと思います。僕らはパラリンピックを目指すスキー部を立ち上げて先陣を切っているわけですから、どうしても成功させたいと思っています。

日立ソリューションズスキー部の選手たちがパラリンピックでメダルをとることは大切かもしれないですけど、それだけじゃなくて、この活動によって、障害のある人たちが、「自分もスキーやってみようかな」とか、「冬一度も外に出たことがなかったけど、ちょっと出てみようかな」と思うことも、とても大切なことだと思うんです。

日立ソリューションズにパラリンピックをめざすスキー部を設立したことによって成功したかどうかということは、この先10年後20年後、「こんなに日本の障害者スポーツが盛んになった」という日が来るには、あの当時日立ソリューションズの中村社長、奥村常務がやるぞーって言わなければ生まれなかったという時代が必ず来ると思います。

パラリンピックのはじまりには、質問1でもお話ししたように、当時ストックマンという病院にいたパラリンピックの父と言われるグッドマン先生がいるんですよ。その病院でも、軍人の方が車椅子の患者としていて、その方たちは当時外に出れずにいたと思うんです。グッドマンは、イギリスのロンドンオリンピックの開会式の日に病院に入院していた彼らとアーチェリー大会の開会式を開いたんです。自分たちで。10何人かで。その時に、「ここにいる君たちは、絶対10年20年後オリンピックと一緒に障害者の大会も出来るんだ」と、彼は言ったんだよね。絶対そういう時が来るからと。僕はまさに、その夢を先陣となって担ったのが、この日立ソリューションズだと思ってますよ。それくらいの夢を追って、10年後20年後、もっとかかるかもしれないけれど、日立ソリューションズの活動にその希望の原点があると思います。

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質問3:選手達の将来について聞かせてください。

答え 今僕らが指導していますけど、将来的には長田選手や井口選手、新田選手、久保選手、太田選手が今度はコーチとして、あるいは監督として活動する時代が必ず来ると思うんです。彼らが障害を持ってしてきた経験は、僕らじゃ経験できないものを持っていると思うし、障害のある子供たち、あるいは中高年、高齢者の方たちに対しての接し方も、もっと違うと思う。

僕が障害者スキーに関わって始めて迎えた長野の大会の時に一番びっくりしたのは、ノルウェーの監督が全盲の人だったんです。盲導犬を連れてコース脇で、選手の滑る音だけを聞いて、ザッザッザッザという短いストロークだったら「もっと大きく滑ろう」と、指示し、ガイドと選手が離れていると、「ガイドと選手はもっと協力して声をかけあわせていかなくちゃいけない」。そういうことを、彼はやってたんですね。監督が集まるキャプテンミーティングというものがあるんですが、彼の発言はすごい重みがあった。当時彼を見てあ~すごいなと、感銘を受けました。

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質問4:障害者スポーツの今後について聞かせください。

答えパラリンピックはもちろん大切で、その活動によって多くの人たちに感動や勇気を与えることが出来ると思います。また、同時に楽しむスポーツとして取組むことも大切だと思っています。スポーツの素晴らしさは、全員が平等に闘えるところにもあると思います。障害があってもなくてもスポーツに取り組む姿はとても美しいものです。ですから、障害があってスポーツに取り組む姿勢ももっとストレートに、多くの人たちに知ってほしい、見てほしい、という思いがあります。そのことによって、障害があることで、今まで臆していた人たち、表に出れずに家の中に閉じこもっていた人たちに、もっと表に出てきてほしい、もっとチャレンジしてほしいというのが僕の気持ちなんです。

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質問5:これから始めたい人へメッセージをください。

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答えバイアスロン競技というのはとても今にマッチしているスポーツだと思います。ヨーロッパでも、バイアスロン競技がとても人気が高いんですね。今後、日本でも気軽に銃のシューティングができるようになれば、今の若い子たちもゲームにすごくなれていますので、楽しみながらやれる機会が増えていくのではないかと思います。この競技にもっと親しめる機会をつくりたいと思っています。

もう一つは、自然と接することが少ない時代ですから、スキーに履き替えて森の中に行ったりして、純粋に自然と親しむきっかけとなって、冬の自然の素晴らしさを体験してほしいですね。

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