2010年05月24日(月)[太田渉子]
Reijo Jylhaコーチ
フィンランドで1番お世話になった方へ、やっとメダルの報告ができました。Reijoコーチはニコニコの満面の笑みで祝福してくれました。奥さんのElinaも手作りのベリージュースとマシュマロでお祝いしてくれました。
(フィンランドのレイヨーコーチと)
Reijoが最初に気にしたのは、バイアスロンのライフルは大丈夫だったのかです。1年前からバイアスロン競技で金メダルを目指すと話していました。それが7位と11位。納得できるものではありませんでした。最終日のメダル効果で忘れていましたが1番重要なことでした。
昨シーズンのワールドカップでは銃トラブルに悩まされました。シーズン中は大会や事前合宿でしか練習できませんでした。それ以外は工場にあったからです。身につくには時間がかかるが、忘れるのは速く簡単です。3ヶ月で約3週間しか練習していませんでした。本番ではメダルを取れるだろうと安易に考えていた自分が恥ずかしくなりました。それを聞いたReijoは、「バイアスロンではまだまだ伸びる可能性がある。まだ若い」と、ゆっくり言いました。
そういえば、「リトルリトル・ガール」と呼ばれていたな~と懐かしくなりました。留学2年目までは小~さい女の子でアスリートと見られてなかったのです。18歳で年間500時間の練習をこなせるようになり、3年目にようやく高校生の練習メニューをさせてもらいまいた。
この2年間は年間550時間をやりました。Reijoは「作った練習量と質をこなせるようになったことが嬉しい」、私に「満足している」と言います。その言葉から自分をスキー選手として認めてくれたと感じ、本当に嬉しかったです。
Reijoは続けます。「夢が叶い、満足し、スキーへの意力がなくなったらお終いだ」。私は違う。「目標としていた金が取れなかった。16歳のバイアスロンの銅メダルから20歳のクロカンの銀メダルは確実に力がついてきたが、まだ若い。30歳前後が身体的・技術的に1番良い時期だ。それまで高いモチベーションで努力したものが真の勝者になる」、と。
「24歳も悪い年齢ではない。ソチパラリンピックでは金メダルを狙える時期だろう」。
銀メダルに安堵し、少し満足していた自分がいました。この言葉はOFFだった心に再びエンジンがかかるように私を勇気付けました。
Kiitos paljon.
Nahdaan sochissa!