2011年11月02日(水)[新田佳浩]
大分で感じた障害者スポーツへの理解
大分国際車いすマラソン大会の応援をかねて、大分市で合宿を行ってきました。
第31回を数えるこの大会は、世界最高峰の車いすマラソン大会といわれています。
この大会が生まれたきっかけは、大分県別府市出身の中村病院の院長であった中村裕氏の尽力があったそうです。
ただ、これだけの期間を継続的に続けてくることができているのは、協力者やボランティア、スポンサーや寄付金といった善意だけでなく、雨の中でも沿道から声援を送る多くの市民の方がいるからだと思います。
そしてこの大会が多くの市民の方に理解されているからこそ、トレーニング中だけでなく日常生活でも声を掛けられます。
私も大分川河川敷でローラースキーを行っているとき、「週末の大会に出るの!?」と声を掛けられるなど、大分市では車いすマラソンが多くの方に認知されています。
そのような大会で、久保選手が総合7位。長田選手も24位。
私も頑張ろうと刺激を受けたレースでした。
(海岸沿いから見える大分市)