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世界の頂点をめざし、パラスポーツの裾野を広げたい!日立ソリューションズ「チームAUROEA(アウローラ)」の選手・監督が、日常の素顔から大会日記までをお届けします。

世界の頂点をめざし、パラスポーツの裾野を広げたい!
日立ソリューションズ「チームAUROEA(アウローラ)」の選手・監督が、
日常の素顔から大会日記までをお届けします。

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質問:小林選手はなぜスキーを始めたの?

私は、長野県の白馬村の隣にある「おたり」という(漢字は「小谷」と書きます)、小さな人口の少ない村の出身なんですけど、盲学校の時からお付き合いのある先生から、「1998年に長野にパラリンピックが来るので、地元から選手を出したい」という話がありまして、パラリンピックの選考会を兼ねた大会に参加したのがきっかけですね。長野パラリンピックの2年ぐらい前から本格的に始めました。

 
私の名前自体が「深雪」という「深い雪」と書く名前なので、冬の競技に深雪が一番ふさわしいだろういう感じで誘ってくれたんですね。


そして、大会の役員をしていた人に「バイアスロンをやってみない?」と誘われて、始めて銃とスキーを組み合わせた競技があることを知りました。長野の時は本物の銃を使っていたので、目の悪い人が「本物の銃に触れる、撃てる」ということに魅力を感じて競技に入りました。


周りの方から声をかけていただいて、きっかけは本当に安易なところから…。トレーニングがとても大変だとかも知らず(゚ー゚;A。それまで、あまり長い距離は走ったことがなかったんですね。それなのに、持久力のいる過酷な競技を選んでしまって、始めた当時は「失敗したかな?」と、思うことが多かったです。技術はとても必要で、短い期間では満足に技術を習得することすらできないような競技なので。


それでも、一緒にやっている仲間もその当時はじめたばかりなので同じく下手だし、遅いんですよね。その中で、どんぐりの背比べのように「一番になってやるんだ!」みたいな感じで、乗り越えていきました。体を動かすこと自体が好きだったのでその中でも一番になることを目指して頑張っていたのと、一緒にやっている仲間がすごくいい人達ばっかりで、その「仲間から離れたくない」という気持ちが強かったです。


「一緒にいる仲間達にも支えられながら」という感じですね。