2024年10月10日(木)[新田佳浩]
東京下町に見られる橋たち
9月は岩手県八幡平市で全日本合宿、青森県野辺地町でチーム合宿、長野県茅野市で育成選手との合宿、長野県東御市で全日本合宿と、9月はほぼ合宿三昧でした。
そして今は7月に来たドイツのOberhofで雪上トレーニングを中心に合宿を行っています。
合宿の話ばかりなので、今回は少し違う話をしたいと思います。
このような生活をしていると都内にいる時間がないのですが、都内にいるときはウエイトトレーニングやローラースキー、そして荒川などの大小の川沿いにランニングを行っています。
江東区で20年以上暮らしていますが、他の地域ではなかなか見かけないものがあります。
それは【橋】です。
江東区には「トラス橋」と「下路アーチ橋」と呼ばれる橋が良く見られます。
(西深川橋)
このような橋は「震災復興橋梁」だそうです。
101年前の1923年9月1日に関東大震災が発生し、火災による焼失が多く、当時多くを占めた木造の橋はもちろん、隅田川に架かっていた5つの鉄橋のうち、永代橋、厩橋、吾妻橋が焼け落ち、両国橋も車道部は残ったものの歩道部を焼失してしまいました。
これはこれらの橋が鉄橋でありながらも、橋底や橋板に木材を使用していたため、近隣からの飛火や水上の船舶の火災などで引火したものです。
唯一残ったのは耐火鉄橋の新大橋で、避難路として多くの人の命を救ったことから「人助け橋」と呼ばれるようになったそうです。
江東区は江戸時代から木材集積地の「木場」や江戸城に物資を運ぶために様々な水路があり、必然的に多くの橋が架けられていましたが、大半が震災で焼失してしまい新しく橋を架ける必要があったようです。
ランニングをしていると当たり前のように見える威風堂々としている橋も、実は100年以上前からあると思うと改めて歴史の凄さを感じます。
そして駒形橋からはスカイツリーを見ることができます。
(駒形橋とスカイツリー)
皆さんも、江東区周辺に来た際は橋の歴史を感じながら散歩してみてはいかがでしょうか?