日立ソリューションズ チームAURORA(以下、アウローラ)は日立ソリューションズグループのシンボルスポーツとして2004年11月に「スキー部」を、2014年4月には「車いす陸上競技部」を設立し、世界での活躍をめざすパラスポーツチームとして活動を拡大しています。
今回、12月3日の「国際障がい者デー」に合わせた社内イベントで、車いす陸上部の久保 恒造選手、岸澤 宏樹選手に選手自身のことや車いす陸上競技の魅力を語ってもらいました。久保選手は2022年から、若手選手育成のために選手兼コーチとして活動しています。
ファシリテーターを務めた日立ソリューションズの社員2名、2004年のアウローラ設立にも携わってきた長哲也さん、若手の筑摩ほのかさんとのインタビュー形式でお届けします。
パラスポーツは第二の人生!久保選手の自己紹介
筑摩:自己紹介をお願いします。
いつもたくさんの熱い応援をいただきありがとうございます。
私は高校生のときに、交通事故で車いすが必要な体になりました。そこでパラスポーツというものに出会って、第二の人生をこの競技に捧げようと思い、歩んでいるところです。
元はスキー部所属で、バンクーバー・パラリンピックとソチ・パラリンピックに出場し、ソチでは銅メダルを獲得することができました。
しかし、自分の中で夏季パラリンピックに行けていないという悔しい思いが、心の片隅にずっと残っていました。そういった思いを汲み取っていただいて、アウローラ車いす陸上競技部を作っていただいたんです。
それから車いす陸上競技部として活動しています。
筑摩:どういったきっかけでアウローラに入ったのですか?
2005~2006年ごろは、企業がパラスポーツを支援する環境が全然整っていなかった時代だったんですね。そのときに、当時アウローラスキー部に所属していた長田弘幸さんから、日立ソリューションズが実業団チームとして支援しているというのを知りました。
いい環境で活動できてるんだなっていう衝撃を受けてすごく興味を持って、ちょうど雪国に住んでいましたし、一旦陸上は置いておいて、スキーの方にチャレンジしてみたいなと。それがアウローラとの関わりの始まりでした。
筑摩:ありがとうございます。次は岸澤選手、お願いします。
期待の新人!岸澤選手の自己紹介
僕は昨年からアウローラに入部しましたが、まだ怪我をしてから日が浅いんです。元々、健常の走る方で陸上競技をやってたんですが、練習中の事故で足が動かなくなって、すぐにパラの陸上競技に転向しました。
アウローラに入った理由の一番大きな理由は、久保選手に教えていただけるからです。そうして1年少し続けてきた結果、今年初めて日本代表をアジア大会で勝ち取ることができました。
結果としてはまだ足りていないですが、これから日本代表として第一線で戦っていける自信を作れたと、僕は思ってます。
ここからアウローラを背負って、世界で活躍する選手になっていければなと思って、今競技をしています。