articleID:12955;categoryID:476

世界の頂点をめざし、パラスポーツの裾野を広げたい!日立ソリューションズ「チームAUROEA(アウローラ)」の選手・監督が、日常の素顔から大会日記までをお届けします。

世界の頂点をめざし、パラスポーツの裾野を広げたい!
日立ソリューションズ「チームAUROEA(アウローラ)」の選手・監督が、
日常の素顔から大会日記までをお届けします。

ここから本文

ワールドカップ旭川大会を終えて

2月13日から19日にかけて旭川でワールドカップが行われました。


日本、そしてアジア初の障がい者クロスカントリースキーのワールドカップということで、私にとって長野パラリンピック以来の国際大会でした。


荒井監督とも、「いつか日本でワールドカップをやりたいね。」「開催国になるからには、連日表彰台に立つことができるくらいのチームにしないと!!」とこれまで話をしてきて、その夢がついに叶った期間でもありました。


私は、踵のケガで調整が遅れていることもあり、アメリカの世界選手権に出場している日本チームとは別行動で合宿を行っていました。


東京では、まず踵のケガで硬くなってしまったアキレス腱部分のストレッチ。
そして身体全体の可動域を広げることを中心にトレーニングを行っていました。


その成果もあり、雪上でのトレーニングも非常に順調に行うことができました。


旭川大会での結果は...
クラシカルミドル:4位 タイム28:51.6
クラシカルスプリント:2位 タイム2:48.7
クラシカルロング:3位 タイム1:00:27.3
フリースプリント:7位 タイム2:22.6 準決勝敗退
フリーミドル:9位 タイム26:44.3


[写真]新田佳浩 表彰式
(表彰式)


結果的には、2度表彰台に立つことができましたが、クラシカルミドルでは3位に3.8秒差。
クラシカルロングでは、最終ラップまで2位だったにもかかわらず最後に3.7秒逆転されてしまった展開を考えると、まだまだ克服しないといけない課題はあります。


ただ、その中でも阿部選手が連日表彰台に立つことができたこと。
視覚障がいのクラスでも、日本選手が2度表彰台に立つことができたことは、非常に嬉しいできごとでもありました。


そして、なによりも一番大きな収穫は、ジュニア選手がワールドカップに参加したことです。


残念ながら海外選手との走力は大きく違いますが、今回の大会が刺激となってくれると思います。


私が初めて出場した1997年の長野パラリンピックプレ大会のときも、トップと2分近く離されてしまいました。


当時、荒井監督から「日本チームが表彰台に立つ選手がいなくても、表彰式に行こう!!」
「いつか表彰台に立つことを夢に頑張れば、いつかできるから!!」と声をかけられ...


私がパラリンピックをめざしてから、4年後のスイスで行われた世界選手権で初めて表彰台に立つことができました。


「夢は叶う」。そして叶えるように努力しなければなりません。


そのことをジュニア選手に伝えたくて、悔しくても表彰台でお祝いしなさい。そしていつかあの舞台に立って「Congratulations!!」と言われるように頑張りなさい。


そして、「次の主役は私ではなく、君たちなんだから」と。


いつか今回3冠を達成したロシアのVladislav選手に勝ってくれることを信じて、私のスキー知識・取り組みを伝えていきたいと思います。


[写真]Vladislav選手と新田佳浩
(3冠を達成したVladislav選手、2015世界選手権のクラシカルスプリント、ミドルとも金メダル)


関連記事
新田佳浩銀メダル 涙の表彰式
阿部友里香が奮闘して3位、新田佳浩悔しい4位
旭川のワールドカップに向けて
2015 IPC クロスカントリースキー ワールドカップ旭川大会に向けてのコメントが届きました!
春スキーのジュニアキャンプ